「子どもとの関わり方2」
アルファ通信(水橋校)10月号より
めっきり秋らしくなりました。まだ日中は少し暑いこともありますが、それでも朝晩はひんやりとしてきました。油断していると風邪を引きそうです。新型インフルエンザもまだ他人事のようにも思えますが、いよいよこれから猛威を振るうことになるかもしれません。
中学生も高校生も、今月は中間テスト対策に追われることになります。体調管理によく気を配りながら、精一杯頑張ってほしいと思います。
ところで、中間テストや期末テストの度に、なんでこんなことのために、好きなことをしばらく脇に置いて、面白くもない勉強を一生懸命頑張らなければならないのかと悩む子も、おそらくいるでしょう。いやむしろそう思う子のほうが圧倒的に多いかもしれません。私も中学生時代・高校生時代を通じていつもそんなふうに思いました。皆さんも子供時代を振り返ってみて下さい。多くの方はきっと、同じように思われたのではないかと思います。
何かといえば勉強しろと口うるさく言う親に、私はしばしばこのような不平を言ったものでした。当然親はそんな私の言葉を一蹴しました。「怠けたいだけだ。そんな屁理屈を言ってないで机に向かえ!」と言われるのが落ちでした。しかし私は、そんな時内心こう思ったものです。「我が子の疑問にちゃんと答えられない大人だって、なんで勉強しなきゃならないのかが分からないんじゃないか。それなのに口うるさくやれやれとばかり言うのはフェアーじゃない!!」と。
今考えてもこれはフェアーじゃないと思います。もちろん今となってはもう笑い話なのですが‥
皆さんは、我が子にこんなことを言われたらどう対応しますか? 私の親がしたような対応をされるでしょうか。
ちょっと脱線しますが、私が育った家というのはかなり貧しい家でした。明治生まれの祖父は日本の植民地となっていた朝鮮半島に入植して土木関係の事業を行い、祖母もまだ幼かった父も、その地ではそこそこ羽振りの良い暮らしをしていたようです。それが日本の敗戦で財産の全てを一挙に失い、文字通り無一文で命からがら家族もろとも日本に引き揚げて来ました。戦後はゼロから改めて暮らしを立て直さねばならず、それこそ塗炭の苦しみをなめました。
実は当時のことは祖父も祖母も、子供の私が求めてもまともに語ってくれることはありませんでした。思い出したくなかったのか、それとも私には理解出来まいと思っていたのか、理由は分かりません。それでも彼らの言葉の端々や生き方そのものから、かつての苦労が尋常でなかったことは子供ながらに痛いほど感じられました。
そういう経緯もあって、私の育った家は貧しく、日本は高度成長もとうに一段落して隣近所が当たり前のようにマイカーを持つようになっていても、ずいぶん後になるまで我が家はそういうこととは無縁でした。
祖父が朝鮮半島で何をやっていたのか、そこで今となってはその地の人々に対し申し訳の立たないこともやっていたのではないかという消えない疑いもありますが、今はそのことには触れないでおきたいと思います。
私が思い出すのは、粗末な貸家で、誇り高く厳しい職人肌の祖父(戦時中の事故で半身不随となっていました。)を中心に、家族が肩を寄せ合って暮らしていたことです。子供時代の私は御多分に漏れず勉強嫌いでしたが、それでも親や祖父に叱られてしぶしぶ、どうにか机に向かって勉強をしていました。「フェアーじゃない!」と不満に思う一方で、生きるため、そして私達子供を育てるため家族がどれほど苦労しているかも十分知っていましたから、どこかでそんな家族に申し訳ない、出来ることなら彼らを喜ばせてやりたいと思っていたのだと思います。ただそうはいっても成績は簡単にどうこうなるようなものでもなく、情けない思いをすることのほうが、そして親からさんざん小言を言われることのほうが圧倒的に多かったのですが‥
自分の子供時代を振り返ってみてまず思うことは、人はモチベーションが高まらなければ勉強に精を出すことなどなく、しかもそのモチベーションは往々にして、周囲の大人の期待とは無関係なところで高まるものではないかということです。子供は一個の人格であるとは教育者であれば誰でも考えることでしょうが、実際に子供というのは周囲の大人のことを、当の大人には全く思いもよらない醒めた目で、よく観察していると思います。
私が勉強の面白さを知ったのは、大人になってからでした。それからは親の心配も顧みず社会科学の勉強にのめり込み、研究者になる一歩手前まで行きました。
親と子の関係の実際は、子供がごく小さい僅かな期間を除いて、親が思っているようなものとかなりかけ離れたものではないかと思います。
今でも私は、一種の趣味として社会科学の勉強を続けていますが、これは誰かに期待されてやっていることではありませんし、収入に結び付くようなことでもありません。
子供が親の期待通りに育っていくことはまずあり得ないという諦めの気持ちをどこかで持ちながら、自分とは違った人格と考えて新鮮に子供と向き合うよう努めることで、いろいろと良い結果が生まれるのではないでしょうか。
子育てというのは全くもって一筋縄ではいかないものだと思います。
水橋校 涌井 秀人