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ゆとり教育の「失敗」??

ゆとり教育の「失敗」??

前回はゆとり教育の功罪ということについて、少し私の思うことを書いてみました。ゆとり教育は子どもたちの知的好奇心を刺激することになったけれど、教える側に子どもたちの知的好奇心に応える力が不足している現状では、そうした教育は空回りして、結局出来ない子どもを多く生むことになってしまった、というようなことを書きました。

これはあくまで私個人の見方であり、本当はどうなのかということは、正直よく分かりません。もっと別の見方をお持ちの方もきっとおられるでしょう。ただ私には、最近の子どもたちを見ていて、次のような印象があります。それは、私が子どもだった頃とは違って、勉強することそのものに疑問を感じているだろうと思われることがとても多いような印象があります。

私が子どもだった頃は、勉強の好き嫌いはあっても、勉強することそのものに疑問を持つということは、基本的にあまりなかったような気がします。私なりにこれを解釈して、かつて私が体験したような詰め込み教育の下では、子どもは基本的に何かに純粋な知的好奇心を持つ余裕がなかったが、最近の子は、ゆとり教育でいったんは知的好奇心を刺激されて勉強への意欲を持ち始めるようになったものの、それをうまく導いて知的発展へ高めてくれるような指導に恵まれず、心のうちに芽生えかけた知の欲求を思いがけず砕かれてしまった、その結果勉強に対してある種諦めの気持ちを持つようになってしまった、ということがあるのではないかと思うのです。

私などは、学校で教えられていたことが実はいかに小手先のテクニックに類するものだったとしても、そのことにさして疑問も持たず、どちらかと言えば勉強嫌いな子どもでしたが、それでも勉強しないという選択肢がある、それが許されるなどとは思いもしませんでした。

最近の子どもたちを見ていると、どんなに成績が芳しくない子でも、いや成績が芳しくない子であればなおさらと言うべきかもしれませんが、知識というものが拠って立つ一番の根っこのような部分がどこにあるかということに、とても敏感であるように思われます。

そういう敏感さを満足させる教育が、もしも学校で、というかこの社会では十分に行われていないとすれば、そしてしばらく続いたゆとり教育から今度大きく舵を切りなおして、今後はますますそういう教育から遠ざかっていくとすれば、ここで生じる空白はいったい誰が埋めるのだろうかと思います。前回書きましたが、「パンドラの箱」はいったん開いたなら、もう二度と元には戻らないのです。

私はこれからの塾には、こういう空白を埋める役割も期待されてしかるべきではないかと思います。塾にはもともと学校教育を補完する役割が期待されていました。学校教育だけでは足りないものを補うというところに、ずっと塾の存在意義がありました。今の学校教育に足りないものは何かと考えてみると、かつてからそうだったところの十分な演習量ということの他に、子どもたちに芽生えた純粋な知的好奇心を満足させることもあると思います。繰り返しますが、いったん芽生えた知的好奇心をなかったことにすることはできません。それは自然の摂理と言ってよいことだと思います。にもかかわらず、もしなかったことにしようとすれば、子どもたちは勉強に失望して、果てはほとんど生理的な拒絶感すら持つようになるかもしれません。

私は、子どもたちにはうんと勉強に精を出してもらいたいと思いますし、子どもたちはそうするべきだとも思います。それは何も、この国の将来を危ぶんでのことではありませんし、よい高校や大学へ進んでもらいたいからでも、また誤解を恐れずに言うならば、将来社会的に成功してもらいたいからでも、本当はありません。

私が子どもたちに勉強してもらいたいと思う何よりの理由は、知識を身につけることが自由に生きるための何よりの条件だと考えるからです。自由に生きるとは、何ものにも強制されず自分の意志に従って生きることです。そのためには、自分の周りの世界について、広く知る必要があります。周りの世界をよく知りもせず、ただ気まぐれに振る舞うことが自由なのではありません。また、知るということにはおそらく終わりがないので、生涯にわたって少しずつ知識を増やしていくための基盤を、できるだけ頭が柔軟なうちに作っておく必要もあります。

子どもたちの心に芽生えた知的好奇心を裏切らないこと、そのために私自身、自分の知的好奇心を大切にして、今からでも、それを育てるべくできるだけ努力していきたいと思います。知的好奇心を育てるためには、子どもも大人も、何かに追われることの多い忙しい日常生活の中で、ふと立ち止まってゆっくり周りを見渡すゆとりを持つ必要があると思います。そういうゆとりは、その気になれば手に入れられるものです。

塾というものは、(成績が上がってこそというところがどうしてもありますから)つい子どもたちを勉強勉強と追いこんでしまいがちですが、そういう中でも、ゆっくり周りを見渡すゆとりというものも子どもたちに感じさせてやりたいと思います。

 

水橋校 涌井 秀人