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受験勉強の意味

受験勉強の意味
受験の季節になってきました。
大学入試は国公立大学の推薦入試が間近に迫っています。大学入試センター試験まではあと2カ月ほどです。
時間というものは容赦のないもので、生徒本人がやる気に燃えていようが、しぶしぶ…といったような気持ちであろうが、そういうこととはまったく無関係に、入試本番に向けて確実に過ぎていきます。
高校3年生ともなれば、その先の進路についてはかなりの部分、自分の責任ということになるでしょう。どの学科に進むのか、どの大学へ行くのか、そもそも大学へ行くのかそれ以外の道を行くのか、といったことは、もちろん結論を出すまでの過程で家族を始め周りの大人たちとの話し合いを重ねる必要があるとしても、最後は本人がよく考えて決めるべきことだと思います。
しかし中学3年生の場合はどうでしょうか。
来年3月の県立高校一般入試まであと4カ月ほどです。子どもたちは、来春の高校・高専入試に向けて、いよいよ気持ちを引き締めて、受験勉強に力を注いでいかなければならない時期を迎えています。やる気に燃えている子にとっても、そうではない子にとっても、それは変わりません。
高校入試はほとんどの中学3年生にとって生まれて初めて経験する大きな試練です。これから先の4カ月は、過ごし方次第では人生の得難い宝物とすることもできますが、ぼやぼやしているとみるみる失われていってしまう、一生の間でもそうはない、大事な、本当に心して過ごす必要がある時期です。
こんなことを言うと、子どもたちのなかには、「分かってる・・・でもうんざりだ!受験勉強なんてしたくない!」と思う子もきっといるでしょう。彼らには、受験や進学についていろいろ思うことがあると思います。当然だと思います。どうして勉強しなければならないのか、どうして高校へ行かなければならないのか、と思い悩む子もいれば、言葉にならないもやもやを抱えて「爆発」しそうになっている子もいるかもしれません。そういう悩みやもやもやは、まったく当然のことだと思います。私にも、身に覚えのあることです。
けれどもそういうことは、まずとりあえずスタートを切って、勉強を進めていくなかで、じっくりと考えていってほしいと思います。高校3年生の場合は、受験勉強を始めるか否かの分岐点に一度は立ち止まって、自分のこの先についてあらかじめある程度の決意を固めることが求められるでしょう。でも中学3年生の場合は必ずしもそうではないと思います。いや、まったくそうではないと、私は言いたいくらいです。中学3年の子どもたちが今抱いているだろういろいろな思いに、私なりに答えてあげられるとすれば、それは、まずとりあえずスタートを切ろう!とりあえず歩き始めよう!考えるのはそれからだ!ということにほとんど尽きます。
ずるい!と思う子もいるかもしれませんし、強引で横暴だ!と思う子もきっといるでしょう。でも私はそれでいい、子どもに嫌われてもここは絶対に大人の「ずるさ」や「横暴さ」を貫くべきところだと思います。自分に勉強は向いていないと思うから高校へは行かない、あるいはたいして勉強しなくても行ける高校でいい、だから受験勉強はしない、あるいはほどほどやればいい、というような考えは、よほど特殊な事情があるのでない限りは、私たち大人が子どもたちに絶対に認めてはならないものだと思います。
つまり子どもたちは高校や高専を目指さなければならない、それも各人がそれぞれ、程度の違いはあるにしても、できるだけの努力をして、ということです。
高校や高専に進学する以外に、早いうちから手に職をつけて生きていくような道もあっていいのではないか、決まりきった進路ではなく、子どもたちのさまざまな個性に合ったもっと多様な進路があっていいのではないか、と私は思わないでもありません。けれども現実の世界は、幸か不幸かはよく分かりませんが、そうしたものとはほど遠いものです。周りの世界についてまだあまりよく知らない子どもたちに、夢のような希望を抱かせることには、私は反対です。
とはいえ、私は子どもたちに、ここに書いたようなことをそのまま言って聞かせようとは思いません。経験が乏しく周りの世界と自分の生き方についてまだそれなりの判断ができるようになっていない子どもたちにそういう言い方をするのは、それこそ横暴でフェアーじゃないと思うからです。
子どもたちにはこういう言い方をしたいと思います。あなたが今抱いているだろういろいろな思いや悩みは、まずとりあえず実際に動いてみて、手探りで先のほうへ進んで行かなければ答えが見つからない、そういう種類のものだ。受験とか勉強について心のなかにいろいろな思いが渦巻いていて、そうしたことから逃れたいならば(本当に、逃れたいだろうと思います)、受験とか勉強といったことに落ち着いて正面から向かっていくしか有効な解決策はない、と。
勉強から逃げても、悲しいかな最後は虚しくなるだけです。「答え」とはものごとの終わりに、ようやく姿を現してくるものです。とにかく始めなければ、答えに近づくことはできない、たとえそれが自分の本心とは思えなくても。これは今の時代、高校生についても言えることかもしれません。人が生きていくことは一筋縄ではいかないことだとつくづく思います。
水橋校 涌井 秀人