教室長のきまぐれ日記ー勉強は義務?
塾の教室には、まだまだ数は少ないですが、勉強とは直接関係のない本も置いてあります。その中の一冊に、内田義彦さんという経済学者のものがあり、そこに「トンボ釣りの好きな少年」の話が出てきます。トンボ釣りが三度の飯よりも好きな少年がいて、暇さえあればトンボを捕まえに出かけるのだそうです。「だがしかし」、と内田さんは言います。少年にトンボ釣りをやめさせるのは簡単だと。「それはただ一つ、『トンボを釣って来い』と毎日毎日、命令すること」。トンボ釣りを仕事にして、やらねばならない義務にしてしまえばよいのだ、と言うのです。人は、本来楽しみとしていたことであっても、いったんそれを義務としてやらなければならなくなると、とたんに苦痛以外の何ものでもなくなってしまう、と。
内田さんは経済学者ですから、労働とか仕事とかといった、普段人が当たり前のこととして受け入れてろくに考えもしないでいる事柄をあえて取り上げて、とことん考えていきます。私も経済学者の向こうを張って、ではないですが、普段疑問に思っていることを少しだけ考えてみようと思います。
この地球の上で、私たちは、労働とか仕事中心の暮らしを当たり前のように送っていますが、こういう暮らし方には、おそらくは西欧近代が起源の、労働や仕事を何よりも大事で価値あるものとする考え方が大きく影響しているようです。一方で最近の歴史研究では、江戸時代までの日本には労働を第一とする考え方もあったが、決してそれだけしかなかったわけではないし、そういう考え方が他の考え方を圧して支配的になることもなかった、ということがよく言われています。
もちろん、そうは言っても、衣食住は人間らしく生きる上での基本であり、子どもを安心して育てるためにも、衣食住を整えるためにがんばって労働しなければならないのは当然だろう、と私たちの多くは考えるでしょう。近代社会とはこういう考え方の上に築かれてきた社会なのだと思います。子どもたちの学業も、こういう考え方に従って、おおむね義務として、これまで形作られてきたのだと思います。そしてこれまではほとんどもっぱら、この面だけが強調されてきました。それは果たさねばならない義務であって、楽しいかどうか、子どもたちの知的好奇心を満足させるものであるかどうかは、二の次でしかありませんでした。
私たちも、私たちの親たちも、そのまた親たちも、というふうに、とにかく少なくとも明治時代から後の近代日本で教育を受けてきた人びとは、みんな義務としての学業をやってきた、いや、やらされてきたのでした。
こういうのは、社会が(世界が?)全体としてまだ貧しく、大多数の国民の衣食住がまだ十分に足りていない時代であれば、それこそ子ども心にも説得力があったことでしょう。しかし今、曲がりなりにも豊かになった現代の日本社会で説得力があるとは、まったく思えません。ではこれに代わる学業のあり方、子どもたちを積極的に勉強に向かわせる何かが今日あるかと言えば、どうもそうとは言えないようです。
私の中学生時代は、マンモス校でいわゆる校内暴力の嵐が吹き荒れていた時代でした(私が通っていたのは、一つの学年で460人という恐るべき中学校でした)。それは学校の教室で大人しく勉強することにすでに相当な無理があった時代でした。今の学校にはかつてのようなあからさまな暴力はないかもしれませんが、勉強に励むのがもはや当たり前とは思われない状況は、かつてよりはるかに進んでいるのではないかと思います。
こうしたことは子どもたちの勉強だけの話ではなく、大人の仕事を取り巻く状況とも密接に関係していると思います。私は、この問題を解くカギが、上で紹介した「トンボ釣りの少年」の話の中に潜んでいるような気がします。私たちは、大人は毎日職場に出かけて仕事をし、子どもは毎日学校に通って勉強するのが当たり前と思い、ちょっとでもそこから外れるのをあってはならないことと考えがちですが、そんな調子のままではきっと未来は暗いだろうなと思うのです。
今の時代に、子どもたちを積極的に勉強に向かわせる何かを、自信を持って語り、しかも子どもたちを納得させられる大人が、どこかにいるでしょうか。昔ながらの刻苦勉励して出世する式のおとぎ話は、もはや今の子どもたちにはまったく通用しないと思わなければなりません。それどころか大人からして、そんな話を本気で信じている人などいないというありさまです。
にもかかわらず、なかなかやる気にならない子どもに、昔ながらのお説教を、私たち大人はついしてしまいがちですし、そんな大人の底の浅さなど、普通の子どもは簡単に見破ってしまうものです。勉強をがんばって、それでいったいどうなるの?
けれど知識を得ることは何も、学校でよい成績を収めたり、よい学校に進むためにだけ役立つわけではありません。知識を得ることは自分の世界を拡げることだし、世界が拡がれば今よりもっと人生を楽しむことができるはずです。大事なのはよい成績をとることだけじゃない。そのことを忘れないでいたいと私は思います。子どもたちに何よりも伝えたいことです。
水橋校 涌井 秀人