教室ニュース 水橋校ニュース教室長のきまぐれ日記ー愚かさについてー

教室長のきまぐれ日記ー愚かさについてー

教室長のきまぐれ日記ー愚かさについてー
人間は愚かなものだから‥などと悟ったようなことを言ってみても始まりません。このところテレビの報道番組などを見ていて、人間はなんて愚かなんだろうと思うことがよくあります。以前はこれほどではなかったような気もします。テレビだけではありません。日常生活の中の些細なひとコマでそういうふうに思うことも、気のせいか増えてきたようです。自分のことを棚に上げて、という部分もあることは認めないわけにいきません。あるいはそんなふうに思うことが増えてきたのは歳のせいなのかもしれません。私もいよいよ頑固オヤジの域に突入しつつあるのかもしれません。
人間は放っておくと憂鬱になる、と誰かが言っていたように記憶しています。憂鬱の種はこの世からなくなることはないのでしょう。であればいっそ頬かぶりをしてそういうものがないかのように振る舞うのは、機嫌よく過ごすための1つの方法であるのかもしれません。しかしそういうのはいかにも無力なことのように思いますし、事によっては人間の愚かさの極みと化してしまいかねません。
愚かさとは何だろうと考えてみると、それは事実認識の誤りであり、その結果取られる、いろいろ悪影響をもたらすことになる行動である、というふうにひとまず言えるのではないかと思います。私が一番最初に思い浮かべるのは、現代の世界を揺るがしているテロリズムです。テロリストと言われる人たちは、当然ですが自分では、正しいことをしていると固く信じています。しかし、確かにそういう人たちもいろいろ考えるところはあるでしょうが、肝心な所で事実認識を誤ってしまっているように思えます。それにまた私は、テロの脅威を封じ込めるため世界が一丸となってテロリストに爆弾の雨を降らせるべきだというような考え方にも、大いに違和感を持ちます。そういうことを主唱する人たちは戦争がしたいだけなのではないだろうかとさえ思ってしまいます。戦争は一部の人びとには利益をもたらすものです。そんなことを考えているとまさに憂鬱極まりなくなります。
こういうのは世界の果てで起きていることで、私たちの毎日の暮らしとは何の関係もないと思う人がいるかもしれませんが、そうではありません。今日のように情報通信網が整備され、人とモノの交流が地球規模で昼夜を問わず活発に行われている世界では、地球上の遠いどこかで起きていることはすべて、私たちの日々の当たり前の暮らしの隣で起きているも同然です。確かに多くの日本人にはテロリストにつけ狙われる心配はまず不要でしょう。しかしそういうことはガソリンや野菜の価格といった目につきやすい所に影響することから始まって、私たちが日々出あう大小さまざまな困難とそれに向き合う私たちの姿勢、私たちのものの考え方、何気ないものの感じ方のすみずみにまで、知らず知らず影響しているだろうと思います。
私たちは日々さまざまな困難に直面しています。大事なのは、困難を困難としてしっかり受け止めること、そしてよりよい状態を求めて考え続けることだと思います。どう考えたらよいのか分からないということもあるでしょう。そういう時は、古今東西の先人が遺してくれた言葉をいろいろと探ってみるのがよいと思います。勉強というのは元来、道を見失った人間の助けとなるという本質を持つものであるはずです。
困難を困難としてしっかり受け止め考え続けられるためには、人間性への信頼が不可欠だと思います。今日の状況をなかなかに厄介なものにしているのは、人間性への信頼が揺らぐような出来事に事欠かないという事実です。何もテロのことを思い浮かべるまでもありません。
子どもと大人の関係ということから言えば、私たち大人には、子どもたちに人間性を信頼する気持ちを与えてやるという大きな大きな責任があります。人間性への信頼がなければ、学校の勉強を頑張ろうという気持ちも、心の奥底では保てないだろうと思います。テストでいい点を取りたいという気持ちだけで勉強を頑張れる子はいません。人間性への信頼のない所では、人の行動は虚無的で、しかも他者を無視した押しつけがましいものになってしまうでしょう。
今日の状況で、何事もなかったかのようにいきなり人間性賛歌を始めるというのは明らかに嘘があります。人間性は今や、探し求めなければならないものになってしまいました。しかも非常に粘り強く。その際に私たちは、ここに人間性あり!!というふうに勝ち誇ったようになっている所には人間性は存在しないということを、肝に銘じておく必要があるように思います。
現代は、まともに何かを考えるということがとても難しい時代だと思います。日本の多くの子どもたちが勉強する意欲を失くしているというのも、よく分かる気がします。しかし私たち大人は挫けるわけにはいきません。希望とは骨の折れる手仕事のようなものだと言った思想家がいました。私たちは日々失敗を繰り返しながらも少しずつ、起きている物事に正しく対処できるようになっていきたいものです。
アルファ進学スクール水橋校 涌井 秀人