教室長のきまぐれ日記ー年の初めに思ったことー
新年。今年は最近にない大雪の正月となりました。つい先ほど初詣に行ってきたところです。ここ何年初詣などということをしていませんでした。寒い中わざわざ寒さに身をさらしに出かけるのがおっくうで、ここ何年家でぬくぬくのんびりを決め込む正月を過ごしていましたが、今年は意を決し、大雪をついて芦峅寺の雄山神社まで出かけてきました。
大晦日の夜から降り始めた雪も小休止し、ちょうど雲の切れ間から日が覗いている中、1メートル近い雪に覆われた境内を歩くのは新鮮なものでした。立ち並ぶ立山杉の大木群に圧倒され、高い枝々に積もった大量の新雪がまるで表層雪崩のように雪煙とともに落ちてくるのをすぐ目の前にした頃には、それまでまだ少し寝ぼけ気味だった私の頭も、さすがに一瞬でシャキッとしました。
私は決して信心深い人間ではありません。大雪もあっていやでも荘厳さを感じずにはいられない場所にあっても、なお醒めた眼を手放すまいと頑なに構えているような人間です。そんな私でも、もうもうとした雪煙の中にかすむ堂々とした杉の大木群を目の前にして、普段は滅多に感じることのない、なかなか言葉にはしづらいような何かを感じました。たぶんそれが、荘厳さとか、あるいは崇高さといったようなものなのでしょう。
初詣の帰り道、きれいに除雪された山道をのんびりと車を走らせながら、同乗の人といろいろな話をしました。その人の友人に数年前夫を亡くされた方がいて、伴侶を亡くして数年間は悲しく鬱々とした気持ちが晴れることはなかったそうですが、ある時から思い立って、正月の間に、この先1年で実現したいと思うこと100個のリストを作って、そのリストを励みに日々を過ごすようにして、そうこうしているうちにその方は再び元気を取り戻されたということでした。車を運転しながら何気なく聞いた話でしたが、今家にいていろいろ考えていると、それは凄いことだなと改めて思われてきます。
人間生きていると実にいろいろなことがありますが、時にはつらい出来事、そう簡単には克服できないような深刻な出来事に見舞われることもあります。そういう出来事の中には、上の話に出てくるような個人的な体験もあれば、震災に見舞われて一瞬にして大切な家族や生活基盤のすべてを失うというような、それこそ言語に絶するような大きな体験もあります。普段何気なく暮らしている間はそういったことはまるで他人事のようですが、自分もいつそういう出来事に見舞われることになるか、本当はまったく分かりません。
そういう深刻な出来事に見舞われて、もう自分の人生は終わったとさえ思えてしまう時、それでもなお人間は生き続け、かすかな希望を胸に抱いて人生を先へ進めていきます。大切な伴侶を亡くして悲しみと絶望の淵まで行って再び人生を立て直すことのできた人を思うと、人生の一筋縄では行かないことを思わずにはいられません。震災ですべてを失ったように見えた人が、初めのうちはきっと地べたを這うようにしてでしょう、暗闇の中を何とかもう一度歩き始め、初めのうちはまったくおぼつかなかった足取りが次第に確かなものに変わっていき、今では元気を取り戻しておられるのを見たりすると、ますますその感が強まります。
人間は素晴らしいとは、あえて言わないでおこうと思います。日々のニュースを見ていても、歴史を見渡してみても、我が身を振り返ってみても、人間の愚劣さを思わずにいられなくなるような出来事は枚挙にいとまがありません。人間であることが恥ずかしくて嫌でたまらなくなるような出来事が数限りなくあります。「神は存在する。しかし神は我々人間の運命などには一切無関心に違いない」と、かつて世界に絶望して?書いた作家もいました(カフカだったかもしれませんが、自信ありません)。
しかしそれにしても人生は一筋縄では行かない。旧約聖書に出てくるヨブは、信仰を試そうとするサタンからありとあらゆる苦難をお見舞いされても信仰を捨てることがなく、やがて報われる日が来ますが、誰もが報われると、どうして保証することができるでしょう? 明日は今日よりよい日になると、誰が約束することができるでしょう? 確かな証しなどはありません。しかし人間は、それでも生き続けるし、幸福を求めて前に進み続けます。時に挫けそうになっても、です。それはまったくもって驚異と言わざるを得ません。そうではないでしょうか?
初詣などという、普段と違ったことをしてみたためでしょうか、いつでもなく強くそんなことを思った正月でした。以前私も実は、少し大げさかもしれませんが、すべてを失った、と思うようなちょっと大きな個人的出来事を体験したことがありました。幸いその出来事を克服できてもう長い年月が経つので、以前はもう生きるのは止そう、この場で終わりにしようなどとふと思ったことさえあったのが、今ではまるでよその宇宙での出来事のように思われます。
そういうことは、いつ誰の身に起きても不思議はありません。そして誰もが現実に大なり小なりそういう体験をしながら、日々の生活を紡いできているのだと思うと、自分も含めて限りない数の無名の人々の、決して声高に主張されることのない思いや、目立たず何気ない行いの1つ1つが、この広い宇宙の中で人類史の明るい1ページ1ページを着実に紡ぎ続けているという事実に、私はまったくもって感嘆の念を禁ずることができません。
アルファ進学スクール水橋校 涌井 秀人