教室長のきまぐれ日記ー子どもたちにとっての受験の意味ー
受験シーズン真っただ中。中3生、高3生の多くにとっては、これからが正念場です。
毎年この時期には、子どもたちにとっての受験の意味ということを思います。
受験は成長期の子どもたちの心と体に、なにがしかの傷を残しますが、それを補って余りあるような、心の成長のための貴重なきっかけや力も与えてくれます。
受験は子どもたちにとって、言ってみれば途轍もない経験です。それは子どもたちがそれまで育んできた世界観ではまったく理解できないことであり、何がどうなっているかはそれを実際に乗り切った後でなければ決して分からない未曾有の経験です。
それは子どもたちが大人の世界と真の関係を結ぶための、それこそ命がけの跳躍です。それまでの幾重にも守られていた子どもの世界、どんなわがままも許されていた温室のような世界を出て、自分のことをまったく特別扱いしてくれない現実の広い世界の中に、初めて自分の足だけで立つということです。
それはこれまでも学校という場で子どもたちがいくらかは経験してきたことです。しかし受験はそれを、それまでの経験と比べれば桁違いの質と量で、しかもごく短時日のうちに集中的に経験させます。それはかなり過酷な通過儀礼と言っていいものです。受験がそういうものだとすれば、それが子どもたちの心にも体にもそれなりの傷を残すことになるのもうなずけます。
受験は子どもの天性とも特権とも言える無邪気で自由なありようを一切認めず、むしろ一定の型にはまることを問答無用で強いてきますが、人間というものは、窮屈な型にはめられてそれで満足するような存在ではありません。入試というものは言ってみれば、型にはまれ!!型にはまらなければお前に未来はないぞ!!と大人の世界の冷徹な代弁者として子どもたちを脅すわけですが、だからと言って人間は、そういうことに素直に納得して心になんの波風も立たないような単純な存在ではありません。
塾の講師として子どもたちを見ていて心が浮き立つのは、受験という過酷な経験を乗り切った子どもたちに、何か新しい生命の息吹とでも呼べるようなものを感じる時です。長く続いた重圧から解放されたのだから元気になるのは当たり前だと思われるかもしれません。でも私は、単にそういうことではないといつも思います。
子どもたちが受験という過酷な経験を通して手にするものは、志望校へ進むための切符だけではありません。彼らはその経験を通して同時に、現実の大人の世界の真っただ中で自分の深い願望を実現していくための秘密にも、たとえ一瞬であっても触れることができます。本当は志望校合格ということよりもこのほうがずっと価値があるのではと私は思います。たとえ受験に「失敗」して、志望校に進めなかったとしても(厳しいことですがそういうことだって、時にはあります)、その秘密は触れることのできるものです。受験がうまくいかなかったからといって、それで未来が閉ざされたりするほど、人生は単純なものではありません(これが大大大前提)。
重要なのは、受験を通してどれだけ真剣に頑張ったか、どれだけ真剣に苦労したかということです。受験で死ぬほど苦労した経験は、その先の人生で必ず活きてくるはずです。どの子の中にも、自分はこうなりたい、ああしたいという深い願望があると思います。その願望は、自分以外の誰かに実現してもらうことはできません。親にだって、そんなことは不可能です。お金を払えば何とかなる、というものでもありません。自分で、すでに与えられてある条件のもとで、苦労に苦労を重ねて実現していく他ありません。受験はそういう経験の第一歩なのです。
受験なんて自分で望んだことじゃない? 確かにそうです。けれどもあなたがこの先生きていくのは、決してあなたが望んだわけではなかったこの大人の現実の世界なのです。これ以外の世界などないのです。これ以外の世界などないこの大人の現実の世界の真っただ中で、あなたは自分の願望を、自分の夢を、実現していくことになるのです。それ以外にしようがないのです。だからあなたがいつも文句ばかり言って逃げたがっている受験は、実はあなたにとってとても重要な意味のあることなのです。私はこのように子どもたちに言いたいと思います。
さて、こう考えてみると、ああもっと頑張っておくんだった・・と後悔する子もいるでしょう。そういう子には、精一杯頑張らせてあげることができなかった大きな責任を、1人の塾人として痛感します。申し訳なかったと言う他ありません。しかし頑張るためのチャンスは、そういう子にもこの先いくらでもあります。今回十分に頑張れなかった子には、ぜひともこの次は、精一杯自分の力を試して欲しいと切に願います。
受験生の親御さんにはぜひとも、我が子の受験が終わった暁には、結果の如何に関わらず、また努力の如何に関わらず、過酷な経験をくぐり抜けた我が子の労をまずはねぎらってあげていただきたいと思います。またさっき私は、「自分の足だけで立つ」ということを言いましたが、そういうことができるのは実際は多くの人の有形無形の支えがあればこそなのだということも、それとなく伝えていただければと思います。
アルファ進学スクール水橋校 涌井 秀人