婦中校TOPICS 2/2
「理想の姿」であろうとする努力
「理想とする自分の姿」は多かれ少なかれ、人それぞれにお持ちであるのだとは思います。しかし、人はそんなに強くない面も多分に持ち合わせている為、「人間誰しも完璧ではないから・・・。」とか、「私はそんな器量・才能を秘めていないから・・・。」とか、自身を納得させる妥協の連続で、その姿は薄れていきがちです。こんなことを書いている私自身も、残念ながら『聖人君子』ではないので、「人として、教育者として、斯く(かく)ありたい」という、理想はあるものの、しょっちゅうやらかしてしまい、「ダメだなぁ?」と反省ばかりしております(笑)しかしながら、「間違いも起こしてしまったり、失敗もしたりするけど、少なくとも、『そうであろう』という努力はしよう」と日々自分に言い聞かせています。
アルファ進学スクールの本部の上役で、良くしていただいている方が、アルファのスタッフ研修の際などに、「先生方も私も、聖人君子ではない、だけど、教育者として、人を導く立場として、それにかかわるものとして、極めて理想に近い教育者であろうとする努力をしましょう。」と、よく言っています。私自身、この上役がよく言うこの言葉は非常に印象的でした。また、このことは、人の『人格』の部分だけでなく、『能力』の部分においても、同じようなことがいえるように思います。
人はどんなに能力の高い人でも、完璧ではないのだと思います。世の中で活躍していく人、頭角を現すような人は、その能力の高さだけでなく、いかなるときも自分が理想とする姿になろうとし、そして、ひたむきな努力し続けたからこそ、輝いた姿があるのだと思います。特に、自分がうまくいっているときに、自身の理想を目指すのは、それほど難しくないですが、苦しい時、うまく言ってないときに、理想の姿であろうとすることは、人としての本質を問われる局面でとても難しいことだと感じます。受験生の皆さんはこれから追込み期に入り、とても苦しい場面にも多々ぶち当たることと思います。真価が問われる時期です。「苦しいときこそ冷静に。」自身の理想とする姿になる為に、常に「理想の人になる為にはどういう判断・行動をするべきか」ということを考えながら行動していってください。