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「子どもとの関わり方」

「子どもとの関わり方」

アルファ通信(水橋校)5月号より

今回はペルシャの古い詩の一節をご紹介させていただくことから始めたいと思います。

何年か前に富山県民共生センター(富山駅北口の通称「サンフォルテ」)が行った「サンフォルテ男性生活講座」である講演者が紹介していたもので、あるいはすでにご存知の方がおられるかもしれません。「父母であること」と題されたその詩は次のようなものです。

父母であること

あなたは、子どもたちに愛を与えることはできるが、あなたのものの考えを与えることはできない。
なぜなら、子どもたちは、子どもたち自身のものの考えを持っているのだから。
あなたは、子どもたちの身体の世話をすることはできるが、彼らの魂をそっくり、飼い慣らすことはできない。
なぜなら、彼らの魂は、明日というすみかに息づいているのだから。
あなたは、子どもたちのようになろうと努めてもよいが、子どもたちをあなたのようにしようなどとしてはいけない。なぜなら、人生は後ろ向きに進んで行くものでもないし、昨日のままで留まっているものではないのだから─

この詩を引用した講演者は次のように言っています。「誰もがかつては同じ子どもだったのに、大人になると子どもの気持ちが分かったような気になっているだけで、本当のところはなかなか分かっていないことが多いのです。…子どもの性格はそれぞれ異なるので、関わり方が難しい…でも、それを恐れていては仕方がないので、子どもたちと付かず離れずの距離を測りながら関わっていくことが必要です。」(ここまで引用はすべて、村上信夫『平成16年度 サンフォルテ男性生活講座「おやじの腕まくり」』(サンフォルテブック 6)、富山県民共生センター、2005年、から)

この詩について、また講演者の意図について、私はここで解釈めいたことを言うつもりはありません。ただ、この詩を何年か前に初めて目にした時の新鮮な驚きを今でもよく憶えていますし、その時以来これまで、その内容を忘れることはありませんでした。それは自分にとっての灯台のようなものだったと思います。文章そのものは長い間目にしていなかったのですが、この連休中押し入れに長年しまい込んだままだった古い本の束を整理していて、まったく思いがけなく見つけ、改めて読んでみて、皆さんにぜひご紹介したいと強く思ったのでした。

大人になって様々な経験をし、様々な知識を身に付けた後も、新しく学ぶことはあるものです。我々大人は古いこと、すでに慣れ親しんでいることについてはよく知っていますが、新しいこと、つまりこれまではなかった真に新しいことについては勘が鈍りがちです。いつでも何かしら新しいことを含んでいるはずの日常を、我々はつい変化のない灰色のものとして見てしまいがちではないでしょうか。そして、ついそういう見方で我が子のことを見てしまうということはないでしょうか。

子供の教育に力を尽くすのは大人の最大の務めだと思います。でもそれが大人の思い描く未来に子供を住まわせるためだとしたら、少し寂しい気がします。子供たちがやがて住まうことになる未来がどのようなものであるかは、大人にも、子供にも、よく分からないのではないでしょうか。そんな中我々大人にできることは、愛する子供たちに幸福になってもらいたいと祈ること、またその妨げになりそうな物事を取り除くべく努めることだと思います。ただその際に幸福の中身や形についてあまり凝り固まった見方をしないように気をつけている必要があるのだと思います。

子供たちを支配するのではなく、子供たちの言いなりになるのでもなく、「子どもたちと付かず離れずの距離を測りながら関わっていく」、慎重に(だが神経質にはならずに)、心の声に耳を澄まして(常識にとらわれず)…

こういう関わり方は難しそうですが、決して絵空事ではないと思います。それどころか、とてもリアリスティックなものだと思います。
我々大人にも、学ぶべきことが山ほどあります。

水橋校 涌井 秀人