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少年老い易く・・

少年老い易く・・
ゴールデンウィーク、家族でどこかへ出かけられた方も多いと思います。私は、別に親孝行というつもりでもありませんが、普段迷惑ばかりかけている両親を誘って、信州方面へ、泊まりがけのドライブ旅行に行ってきました。仕事柄、1年を通して、まず連休というものを取ることができません。5月の大型連休は、普段なかなかできないことが思い切ってできる、貴重な時です。
長野県は学生だった時から好きで、ふと思い立っては、大学が休みでもないのによく出かけました。当時はクルマを持っていませんでしたから、移動はもっぱら鉄道で、駅前の安宿やビジネスホテルに泊まりながら、5日も6日もかけて、広い長野県やその隣の山梨県辺りをよく1人でさまよい歩きました。学生の常で、懐は決して豊かではありませんでしたが、時間だけは無限にあるような感じで、それでも若者なりの深刻な悩みを抱えていたりして、決して無邪気に楽しいだけの旅行ではなかったはずですが、今から思えば、最高に贅沢なひとときだったと思います。
最近の学生は割と気軽に海外旅行をしたりするようですが、バブル経済の残り火がまだちらちらしていたような私の学生時代でさえ、学生が海外旅行をすることはかなり珍しかったのではないかと思います。
当時の私にとって長野や山梨のどこがよかったかと言えば、小さい頃から立山連峰を見慣れ少々うんざりしている身からしてもとても新鮮に感じられた雄大な山景色の数々であり(すばらしく見晴らしのよい安曇野から見る後立山連峰と穂高連峰、小淵沢辺りから間近に仰ぎ見る八ヶ岳連峰、また北アルプスとはかなり違った趣の南アルプスのごつごつした山々、そのいずれも、ブナや白樺など清潔感のある木々が豊かに広がる麓の高原の景色も含めて、私には、どことなくヨーロッパアルプスの雄大な景色を思わせました)、また、小さいけれど個性的な美術館がその風景の中に多く点在していることも、その地の大きな魅力でした。
当時は電車を乗り継ぎ、1日歩き回って多くの美術館を訪れました。有名無名の様々な作家の作品との出合いがあり、気に入った作品の前に何十分も立って呆けたように眺めていたこともよくありました。
その後仕事をするようになり、忙しくなってくると、世の常か、学生時代のように自由に気ままな旅行をすることなど、考えることさえなくなっていました。今回の旅行は学生時代とは違ってクルマで回りましたし、夜は温泉地のリゾートホテルで美味しいものを食べ、のんびり寛ぎました。そして何よりも、学生時代には全く思いもよらなかった、両親と相伴っての旅行でした。年取った両親を見ながら(あと何回、こういう旅行ができるんだろう・・・。両親には、いつまでも、元気でいてもらいたいと思います)、親と一緒に旅行しようなどと考えた自分自身も、ずいぶん年を取ったんだなと思ったりもしました。
果たして遠出と言えるのかどうかは分かりませんが、旅行というものを本当に久しぶりにしたように思います。まるでクリムトの風景画に出てくるような安曇野の新緑のブナ林の清涼感は、本当に筆舌に尽くしがたいものでした。前日に宿で何気なく眺めていた地元の観光マップの中に、たまたま、知った名前の作家の個人美術館があるのを見つけ、晴天の安曇野のすばらしい田園風景の中をクルマでさまよった末にようやく見つけたその場所が思いの外すばらしかった、という出来事もありました。
飯田善国(いいだよしくに)という彫刻家を、20数年前テレビのある教養番組で知った時(「20世紀の群像」という番組だったと思います)、その日本人離れしたコスモポリタンな人柄(ドイツに居を定め、世界的規模で活動する芸術家だった)と誠実で落ち着いた語り口に魅了されました。それから20数年、いろいろなことがあった中で私の記憶も風化し、その名前もほとんど忘れかけていましたが、風化と忘却の20数年が一挙に吹き飛ばされたかのようでした。
自分が学生だった時、どんなことに悩み、間もなく社会人として入っていかねばならない大人の社会を前にして何と闘っていたのかを、ほんの一瞬ですが想い出させてくれたひとときでした。かつての自分を恥ずかしく思う一方で、あれから20数年、今の私は、あの時の私を前にして恥ずかしくない生き方をしているのだろうかとも思いました。あの時の、まだ何も知らず、経験も全くないくせに、1人で大人の社会全体を敵に回して闘っているようなつもりだった、無力だが生意気だった私を前にして・・・。
旅は人を若返らせるというようなセリフをいつかどこかで聞いたことがありますが、こういう意味だとは知りませんでした。正直もっと軽く考えていました。ある程度年取ってから若かった頃に戻るというのは、決して気持ちのいいことばかりではないと思います。年月はどんな人の心にも塵を降り積もらせるものだと思います。それを思い知らされる経験は決して気持ちのいいものではないでしょう(私の両親はどうだったのでしょう)。
学生時代の私は、ふと思い立っては日常生活を脱け出し、信州の小さな美術館の一室で、一枚の絵を前にして、心にわだかまる諸々と何とか折り合いをつけるために格闘していたようです。しかし年月は容赦なく過ぎ、日々の忙しさのためか、それとも単に鈍感になっただけなのか、いつの間にかそういう格闘があったことさえ忘れてしまっていたようです。
生きることは一筋縄では行かないはずなのに、いつの間にか惰性で何とかなるようになってしまっている。「少年老い易く学成り難し」。この言葉の重みが身にしみて感じられます。
水橋校 涌井 秀人