基本に返る

基本に返る
何事であれ、基本に立ち返ることは大切です。
もう何回も、折に触れてこの場でご紹介させていただいた古い詩の一節を、また引用させていただきたいと思います。ペルシャの古い詩の一節です。
                          父母であること

あなたは、子どもたちに愛を与えることはできるが、あなたのものの考えを与えることはできない。

なぜなら、子どもたちは、子どもたち自身のものの考えを持っているのだから。

あなたは、子どもたちの身体の世話をすることはできるが、彼らの魂をそっくり、飼い慣らすことはできない。

なぜなら、彼らの魂は、明日というすみかに息づいているのだから。

あなたは、子どもたちのようになろうと努めてもよいが、子どもたちをあなたのようにしようなどとしてはいけない。

なぜなら、人生は後ろ向きに進んで行くものでもないし、昨日のままで留まっているものではないのだから─
これはもともと、ある講演の中で引用されたものでした。この一節について、その講演者は次のように言っています。「誰もがかつては同じ子どもだったのに、大人になると子どもの気持ちが分かったような気になっているだけで、本当のところはなかなか分かっていないことが多いのです。・・・子どもの性格はそれぞれ異なるので、関わり方が難しい・・・でも、それを恐れていては仕方がないので、子どもたちと付かず離れずの距離を測りながら関わっていくことが必要です。」(ここまで引用はすべて、村上信夫『おやじの腕まくり(平成16年度 サンフォルテ男性生活講座)』、サンフォルテブック 6、富山県民共生センター、2005年、から)。
新鮮な驚きをもって初めてこの詩の一節を目にした時以来、今の仕事をするに当たってずっと自分にとっての灯台のようなものだったこの一節を、また改めてご紹介しようと思った理由は、この私自身改めてこの一節を噛みしめてみなければならないと思ったからでした。
初めてこれをご紹介させていただいた時、私は次のように書いていました。「大人になって様々な経験をし、様々な知識を身に付けた後も、新しく学ぶことはあるものです。我々大人は古いこと、すでに慣れ親しんでいることについてはよく知っていますが、新しいこと・・・については勘が鈍りがちです。いつでも何かしら新しいことを含んでいるはずの日常を、我々はつい変化のない灰色のものとして見てしまいがちではないでしょうか。そして、ついそういう見方で我が子のことを見てしまうということはないでしょうか」。
「子供の教育に力を尽くすのは大人の最大の務めだと思います。でもそれが大人の思い描く未来に子供を住まわせるためだとしたら、少し寂しい気がします。子供たちがやがて住まうことになる未来がどのようなものであるかは、大人にも、子供にも、よく分からないのではないでしょうか。そんな中我々大人にできることは、愛する子供たちに幸福になってもらいたいと祈ること、またその妨げになりそうな物事を取り除くべく努めることだと思います。ただその際に幸福の中身や形についてあまり凝り固まった見方をしないように気をつけている必要があるのだと思います」。
「子供たちを支配するのではなく、子供たちの言いなりになるのでもなく、『子どもたちと付かず離れずの距離を測りながら関わっていく』、慎重に(だが神経質にはならずに)、心の声に耳を澄まして(常識にとらわれず)・・・」
「こういう関わり方は難しそうですが、決して絵空事ではないと思います。それどころか、とてもリアリスティックなものだと思います」。
かつて私はこう書いていました。今改めて書いてみながら、果たして私はかつてより少しは進歩したのだろうかと自問しています。残念ながら、はなはだ怪しいと認めざるを得ません。子供たちを支配せず、その言いなりになるのでもない、いわば第三の道こそが、教育のみならずあらゆる人間関係において追求するべき道だと、私は今も信じています。でも自分はまだその端緒にすらついていないのではなかろうかと、我が身を振り返ってみてとても情けなく思います。
生きていればいろいろと難しいことに出遭いますが、人と人との関係ほど難しく、また大切なことはないと思います。大切、というのは、そこに私たち皆の未来がかかっていると思うからです。教育に限って言うなら、子供と大人の関係のうちに、子供たちの未来がかかっているということです。ヴァルター・ベンヤミンという思想家がかつて言った、教育とは大人が子供を支配することであってはならず、どうしても支配という言葉を使いたいのであれば、それはむしろ子供と大人の関係を支配することでなければならないという言葉も、いつも頭の中にあります。
教育は感情に流されてはいけませんが、人間は感情に流されやすい存在です。また教育は冷たい理性にのみ従うのであってもいけないと思いますが、我々大人は窮地に追い込まれると、つい融通のきかない堅苦しい理屈に救いを求めてしまったり、ということも起こりがちではないかと思います。
正解を焦らないことが何より大切と、自戒を込めて思います。
水橋校 涌井 秀人