教室長のきまぐれ日記ーながら勉強のすすめ
「ながら勉強」をどう思いますか?
好きな音楽を聴きながら、とか、夜のラジオから流れる音楽やとりとめのない話を聞くでもなく聞かないでもなく、というような環境でなければ、中学・高校時代の私はそもそも勉強できなかったことを覚えています。というかそういう環境に入っていくことが、自分にとって勉強を始めるために必要な一種の儀式になっていたように思います。
中学生になると同時に与えられた自分だけの部屋にはテレビはなく、今と違ってパソコンやゲームももちろんありませんでしたから、そういうもののせいで勉強できなくなるということはありませんでした。私は「ながら勉強」大いに結構という肯定派ですが、耳からだけでなく目からも勉強とは関係のない情報がどんどん入って来る環境では、およそ人間は勉強することができないと信じています。最近の子は自分の部屋ではなく家族の集まる居間で勉強する場合も多いようですが、テレビなどがついてさえいなければ、それが勉強の邪魔になることはないだろうと思います。むしろ母親が台所で片付け仕事をしていたり、父親が新聞を読んだり仕事の調べものをしていたり、また家族の間の何でもない会話があったりといった「雑音」がちょうどよい刺激になって、勉強がはかどるのではないかと思います。
テレビがついていたりゲームが横にあったりして勉強とは関係のない刺激的な情報が目からどんどん入ってくる環境は勉強の妨げになるでしょうが、家中がそういう環境一色でなければ、我が子が勉強しやすい環境作りに親御さんがそれほど神経を使う必要はないと思います。勉強しやすい環境は子ども自身がいろいろ試行錯誤しながら作っていくものだと思いますし、親も含めて他人の決めたルールに無理やり従わせることはできません。非常に短時日で勉強の習慣が身につきすぐに成績も面白いように上がる誰にでも有効なやり方があるわけではありません。人間は規格化されたロボットではないのですから。そんな幻影を追いかけずに子どもにちゃんとまっとうに試行錯誤させてやるのが、親だけでなく私たち塾講師も含めて大人の務めだと思います。
ところでアルファ水橋校の教室では授業中いつも小さな音で音楽を流しています。そういうふうにするようになってだいぶ経ちます。音楽を流すようになった理由は、もともと私は物腰が少し硬くて子どもたちを緊張させてしまうところがあったので、教室の雰囲気を少しでも和らげようと思ったことでした。ただそうは言っても子どもたちに人気のあるJポップのアーチストの歌などを塾の教室で流す気にはさすがになれず、定石通りといいますか、会社や役所では以前からよくやられていることですが、クラシックのピアノ曲とか小編成の室内楽曲といった割と大人しい(?)ものを、聞こえるか聞こえないかという程度の音で流し始め、今に至っています。最近は小編成のジャズの曲も流すようになっています。
音楽がうるさくて勉強に集中できなくなってはいけませんから、音はごく小さく小さく絞っていて、何が流れているのか、子どもたちはほとんど分からないだろうと思います。そもそもおよそ子どもたちが好きな類いの音楽ではないはずなので、子どもたちにとっては、鳴っていても勉強の邪魔にならないだけのもの、関心の外にあるものだと思います。
その効果のほどは?
音楽はさすがに教室の雰囲気を和らげてくれるようです。例えば中学生がテストでとんでもなくひどい点数を取ってきて私などが思わず叫びたくなる時でも、それを思いとどまることができますし、受験間近で生徒も講師もかりかりしそうになっても、気持ちを静めて冷静にしてくれます。教室に流れている音楽には何の関心もないような顔をしつつ勉強に没頭している生徒の姿を見るにつけ、教室の音楽が勉強しやすい雰囲気作りに一役買っていることを確信します。
集中を要する仕事を助ける効用が音楽にあることは、昔からよく知られていました。クラシックでなければならないとか、モーツァルトでなければならないというわけではないと思います。中学生時代私は好きだったYMOなどをラジカセで聴きながら勉強しました。音楽は、子どもたちが自宅で勉強する時のよき友だちになってくれるはずです。
水橋校 涌井 秀人