「私の願い」
今年も残すところ、僅かになりました。改めまして一年の皆様のご理解・ご協力に厚く感謝申し上げます。受験生たちは、毎日塾に来て必死に学習を進めております。このような姿を見ておりますと、厚かましいかも知れませんが、講師としてよりも、親として「絶対に合格させてあげたい!」と心から思います。追い込みの時期ですので、スタッフ一同、より一層気合を込めて指導して参ります。是非、ご家庭の方でも「声掛け」など叱咤激励をよろしくお願い申し上げます。来春には、この一年の生徒たちの努力が報われ、いい年であるように心から祈っています。
「私の願い」
10月末頃の産経新聞だったと思いますが、大阪府岸和田市の小学6年生、森琴音さん(12)のエッセーを読み、心に響きましたので、紹介させて頂きます。
森琴音さんは、3歳のとき事故で心肺停止となりました。一命を取り留めましたが、低酸素脳症の重い後遺症で下半身はマヒし、言葉も失ってしまいました。
琴音 「わたしの願い」
わたしはしゃべれない歩けない 口がうまくうごかない 手も足も自分の思ったとおりうごいてくれない
一番つらいのはしゃべれないこと 言いたいことは自分の中にたくさんある でもうまく伝えることができない
先生やお母さんに文字盤を指でさしながら ちょっとずつ文ができあがっていく感じ
自分の言いたかったことがやっと言葉になっていく 神様が1日だけ魔法をかけてしゃべれるようにしてくれたら…
家族といっぱいおしゃべりしたい 学校から帰る車をおりてお母さんに「ただいま!」って言う
「わたし、しゃべれるよ!」って言う お母さんびっくりして腰をぬかすだろうな
お父さんとお兄ちゃんに電話して 「琴音だよ!早く、帰ってきて♪」って言う 2人ともとんで帰ってくるかな
家族みんながそろったらみんなでゲームをしながらおしゃべりしたい
お母さんだけはゲームがへたやから負けるやろうな 「まあ、まあ、元気出して」ってわたしが言う
魔法がとける前に 家族みんなに 「おやすみ」って言う それでじゅうぶん
このエッセーを読み、当たり前になっていた自分が恥ずかしいと思いました。しゃべれることも、歩けることも、おやすみ!って言えることも、感謝しなくてはいけないと言うことです。人は日々生活をしていれば、楽しいこともあれば苦しい時もあります。そして苦しい思いをすると、周りのせいや何だかんだと理由を付けては逃げようとします。
塾生の皆さんはどうでしょうか?勉強から逃げていませんか?本当はやらなきゃいけないってわかっているのに、逃げていることはありませんか?きっと大なり小なりみんなあるでしょう。でも、このエッセーを読んで何かを感じてほしいなあ・・と思います。
普段、当たり前にある身の回りの風景や光景が、本当は当たり前でなかったとしたら?きっと、その時その時を無駄に過ごすことは出来ないのではないでしょうか?今年ももう終わります!このまま終わらせて良いですか?是非、考えて欲しいと私は思います。来年の自分をより一層飛躍させるために・・・。