教室長のきまぐれ日記ー未来をつくる力ー
新しい学年のスタートです。毎年この時期は、子どもにとっても、親にとっても、非常に慌ただしく落ち着かない時です。とりわけ新しい学校に進んだばかりの子どもたちは、入学式にオリエンテーション、新しい友達や先生との出会い、そして授業や部活動開始と、慣れないことの連続で、しばらくは大きなストレスとプレッシャーにさらされ続けます。まさに試練の時です。
子どもたちが持つ新しい環境への適応力に期待したいと思います。その力は、私たち大人のそれとは比べものにならないほど大きいものです。ゴールデンウィークを迎える頃にはげっそりした顔をしていた子が、よく辛抱した末に、夏休みを迎える頃には見違えるようにたくましい顔をしている、ということがよくあります。子どもたちの心はこの時期急速に成長します。
とはいえ、進学のような人生の大きな節目に直面している子どもたちは、次から次にやって来る新しい経験と格闘し、時には疲れ切ってしまうこともあるかもしれません。そんな時、我が子の苦労する姿を見ていられず、余計なことと思いながらつい手を出してしまうということは、親であれば誰でも身に覚えのあることでしょう。しかし新しい環境への適応力は、新しい環境で格闘する中からしか生まれてこないものだと思います。そういう格闘から子どもをむやみに「救い出」さないことが、子どもの成長にとって大切だと、私は基本的に考えます。
新しい環境に戸惑っているに違いない子どもたちに私たち大人がしてやるべき第一は、子どもたちが疲れたらいつでも戻って来て安心して休むことができる静かで穏やかな港を用意してやることだと思います。それ以上に積極的に手出しをすること、いわば親が港を出て我が子を連れ戻すような、必要以上に子どもを保護することは、その子から自立のための貴重な機会を奪うことになると思います。大切なのは、子どもとの間に、つかず離れずの距離を保つよう努めることだと思います。
毎年この時期にはこういうことを思います。そしてこういうことを思いながら、いつも必ず頭をよぎるのは、ずいぶん前に知ったペルシャの古い詩の一節です。
父母であること
あなたは、子どもたちに愛を与えることはできるが、あなたのものの考えを与えることはできない。
なぜなら、子どもたちは、子どもたち自身のものの考えを持っているのだから。
あなたは、子どもたちの身体の世話をすることはできるが、彼らの魂をそっくり、飼い慣らすことはできない。
なぜなら、彼らの魂は、明日というすみかに息づいているのだから。
あなたは、子どもたちのようになろうと努めてもよいが、子どもたちをあなたのようにしようなどとしてはいけない。
なぜなら、人生は後ろ向きに進んで行くものでもないし、昨日のままで留まっているものではないのだから─
親だけでなく教師も含めて、大人というものは、自分の手の届く所に子どもを置いておきたがるものだと思いますし、そうして安心していたがるものだと思います。しかし、ちょっと飛躍した言い方かもしれませんが、もしも私たちの未来が、私たちの手の届く範囲を少しも出ず、今の私たちにとって安心な範囲を一歩も踏み出さないようなものだとしたら、私たちにとってこんなに心躍らないことはないだろうと、そんな気がします。
子どもは未来の作り手です。骨の髄まで世上の塵にまみれてしまった私たち大人などには想像することもできない新しいものを作り出す力を秘めた存在です。私たち大人の子どもたちに対する最大の責任は、よりよい未来の作り手たるべき彼らの内に秘められた力を大事に育てることだと思います。よりよい未来とは、子どもたち自身が作っていくべきもので、大人が押し付けるべきものではありません。大人が思いもよらないものを作り出す力を育てるということです。
人間社会の荒波は、そういう力を育てるためにこそ役立つべきだと私は信じています。決して子どもたちを私たち大人と同じような存在に仕立て上げるためにではなく。子どもたちには、この荒波と精一杯格闘してもらいたい。疲れることもあるでしょう。逃げ出したくなることもあるでしょう。子どもたちには、ぎりぎりまでがんばってもらいたい。手厚く保護された無菌状態の中では決して育たないだろう力が、そういう格闘、がんばりの中でこそ着実に育っていくのだと信じています。
アルファ進学スクール水橋校 涌井 秀人