教室ニュース 水橋校ニュース教室長のきまぐれ日記ー本の魔力ー

教室長のきまぐれ日記ー本の魔力ー

教室長のきまぐれ日記ー本の魔力ー
8月、富山市西町の旧大和デパート跡地に、「TOYAMAキラリ」という新しい複合型施設がオープンしました。施設内には新しく富山市立図書館本館や富山市ガラス美術館などが入りました。あいにくまだ私は訪れていませんが、何であれ新しいものはいいものです。出来るだけ早く訪れてみたいと思っています。
最近市内でも多く見かけるようになったとても現代的なスタイルの建築(隈 研吾さんが設計されたそうです)にも大いに興味が湧きますが、特に私は、新しい図書館がどんなものか興味津々です。
図書館、というか本のある場所が昔から好きです。紙や印刷用インクの匂いが入り混じった独特の匂い。古い蔵書の多い図書館ならそれに多少カビ臭い匂いも入り混じり、なんとも言えないいい匂い(笑)がします。私にとっての本の魅力は、そこに詰まっている情報だけでなく、本の匂いや形、手に持った時の感触、色合いといった、物(もの)としての本が醸し出す魅力でもあります。学生時代よく1人で東京の古本屋街へ出かけて行き、気に入りのたくさんのお店をはしごして1日過ごしましたが、飽きるということはまずありませんでした。また当時通っていた大学の附属図書館の地下書庫へ調べ物をする目的でよく降りて行っていましたが、地上階で開架されているよりはるかにたくさんの興味深い本が収められた広大な薄暗い地下空間そこの匂いたるや相当に強烈なものだったのを覚えていますが―で過ごすひと時はある種至福の時でした。
図書館司書か古書籍商にでもなれたらいいなあと強く思った時期もありましたが(本の装丁家に憧れたこともありました)、それも今は昔です。最近の情報技術の進歩は昔からある本のあり方にも大きな変革を迫りつつあります。いずれそのうちに紙の本は作られなくなり、小さなハードディスクに古今東西のあらゆる出版物が収められ、液晶画面上でなんでも自在に閲覧できる時代が来るのかもしれません。富山市内でも以前からあった書店は次々と姿を消しています。時代の移り変わりを痛感します。図書館というものも、そのうち大きく姿を変えるのかもしれません。
ところで私事ばかりで恐縮ですが、私が本の中身もさることながら、本という物そのものに惹かれるきっかけとなったのは、子ども時代の過ごし方だったように思います。小学校、中学校時代を通して体が弱く、よく熱を出して学校を休みました。そういう日は朝からずっと自分の部屋の布団の中で過ごしました。その子ども部屋にはなぜだか文学全集の類い―まだ若かった頃の父親が、なけなしの給料で、決して読書好きというわけではなかった自分自身のために、何を思ったか一念発起して買ったものだったと思います―が1つの壁を埋め尽くすように並んでいました。物心つく辺りの頃から私は、その背表紙を眺め、すでにかなりカビ臭くなっていたその匂いをかぎながら過ごすことが多かったと記憶しています。熱で頭がぽーっとなっている時にその中のどれか1冊を開いて読み耽るというわけにもいかず、布団に力なく横になったまま本棚に並ぶ本の背表紙だけをひたすら飽きもせず眺めて過ごし、荘重な書体で神曲だとかユリシーズだとか特性のない男だとか印刷してある背表紙の文字をなんとなく目で追いながら、世界文学の世界を子どもの頭で気ままに想像したりしては1人悦に入っていました。
今でも近くに本がないと落ち着きません。自室はかなりの部分本が占拠していますし、ベッドの枕元にはいつも無造作に本が積み上がっています。許されるなら塾の教室も壁を本で埋め尽くして小さな図書館にしてしまいたいくらいです(図書館が勉強しやすい環境なのは偶然ではないと思っています)。
本の中身よりも本そのものに惹かれてしまう人間が私だけでないと知ったのはもっとずっと後になってからでした。それ以前もそれ以後も、本と親しむことは私にとって、ある種背徳的ないけない楽しみだったのは確かです。それと、もし仮に、自分の読みたいと思うものを書く人間がものを書く人間の原像だとすれば、(これはとてもおこがましいことではありますが、)私もものを書く人間の末端に連なっているのを感じます。ジャン・パウルというドイツロマン派の小説家の作で『陽気なヴッツ先生』という忘れ得ない小品があります。主人公のヴッツ先生は本好きだが貧乏で思うように本が買えず、読みたい本を自分で書くことでその渇を癒しているという不思議な物語を読んだとき、まさに我が意を得たりという気分になりました。一方アルゼンチンの小説家ボルヘスには、「バベルの図書館」という奇妙奇天烈な小品があります。無限大の小宇宙にして迷宮。ない本はないという究極の図書館を描いています。ボルヘスという人もよほどの本好きだったのでしょう。本にまつわるめくるめく物語に好感を持ちます。
さて、読書と言えば我が子に読解力をつけさせたいと望む親御さんが十中八九まで子どもにその習慣をつけさせたいところでしょう。が、そういうことは本にまつわる広大な世界のほんの小さな一部分でしかないことは申し上げておきたいと思います。本が持つ力は魔術的な力と言ってもよいもので、一度引き込まれたら二度と再び出て来られなくなるほどの深刻な影響を後々まで及ぼし得るものです。国語の成績を上げるといったことはおろか、およそ何かの役に立つといったことまでもまったく大したこととは思わせなくなるほどの、言ってみれば社会の当たり前の常識を根底から揺るがすような強い黒い?力を秘めているのが、本というものです。
さて、読書の秋。本の世界に足を取られ常識を踏み外す人間がまたぞろ出てきます。でもそれは、自由を感じるひと時、人間であることの幸運を感じる楽しいひと時でもあります。ぜひ親子で楽しく足を取られてみてください。
アルファ進学スクール水橋校 涌井 秀人