教室ニュース 水橋校ニュース教室長のきまぐれ日記ー新しくなった市立図書館ー

教室長のきまぐれ日記ー新しくなった市立図書館ー

教室長のきまぐれ日記ー新しくなった市立図書館ー
前月も触れた「TOYAMAキラリ」へ行ってきました。市内の自宅から、長い散歩といったノリで足を延ばしてみました。ガラス彫刻のような建物の外部は周囲に異彩を放っていてひときわ目を引きますが、建物内部の印象はそれ以上でした。大きな吹き抜け部分が建物の底からてっぺんまで貫いていて、間仕切りの少ない広い屋内は、開放感がありながら、思い切った意匠のためか迷路のようでもありました。中に入った富山市立図書館は、私には、さすがに凝った空間を少し持て余し気味かな、と思える節もありました。最先端の現代建築をスマートに使いこなすのはなかなかに難しいことなのかもしれません。建物は芸術作品のようで素敵だなと思いましたが、ふと城址公園内にあった以前の産業奨励館のモダニズム建築のお手本のような?真面目で?少し古めかしかったたたずまいが懐かしくなったりもしました。かつて昭和に一世を風靡したであろうモダニズム建築から何光年も隔たっているように見える真新しい建物の鮮烈な印象に、少し頭がくらくらする心地がしました。
訪れた日は休日だったこともあり、館内は併設のガラス美術館を訪れた人も含めて人が多く、図書館に付きものの自習スペースも、贅沢に確保してある様子でしたが、高校生らしき人たちを中心に大いに賑わっていました。私も十代の頃にはよく以前の古い市立図書館の自習室のお世話になっていたことを思い出し、真新しい、何もかもがぴかぴかの空間で勉強ができる今の子どもたちを羨ましく思いました。そう言えば以前の施設には昔ながらの昭和の雰囲気が残る軽食堂が入っていました。それも昔から気に入りでしたが、今はもうなくなってしまったようです。その替わりと言えるかどうか、新しい施設には清潔でお洒落なカフェがあります。今の中高生は勉強の合間にそういうカフェを利用することもあるのだろうなと思うと、これもまた隔世の感があります。
これに限らず最近は、市内でも古いもの、昭和生まれのものがどんどん姿を消し、次々と新しいものに替えられてきているようです。新築の建物はどれもユニークなデザインを競っているかのようですし、最近はどんなにちょっとしたお店であっても、洗練された雰囲気を出すのが当たり前になっていて感心します。私は昭和の高度成長期も終わり頃になってから生まれてきた者ですが、物心ついた頃にはもう世の中が停滞したようになっていました。周囲の街並みにも、ファッションにも、テレビ番組の類にも、基本的には退屈さしか感じませんでした。今はどんどん変わりつつあります。人も街並みもどんどん洗練されてお洒落になりつつあります。それは好ましいこととは思いますが、どこか違和感もあります。
私はこれまで別段古いものに魅力を感じたりすることはありませんでした。ブリキのおもちゃだとか、名前も知らない昔の女優さんが写っているいかにも古めかしい看板だとかにたいそう情熱を燃やす人のことがずっと不思議でなりませんでした。どこかの鉄道が廃線になると聞くや遠方にもかかわらず必ず駆けつけて○○線最後の日の証人になることに無上の喜びを感じるような心性も、私には無縁なものでした。アンティーク時計のような骨董品を愛でることも、いい趣味だなとは思っても、ずっと他人事に過ぎませんでした。
最近になって、自分の中で少しだけ変化が生まれてきているのを感じていたところ、つい最近読んだ本の中にふと次の一節を見つけてハッとしました。「〈古びたもの〉のうちに現われる革命的エネルギーに出会ったのは、シュルレアリスムが最初である。そうしたエネルギーは、鉄による最初の構成物、最初の工場、最初期の写真、すたれはじめた事物、サロンの両開きの扉、五年前の服、流行から取り残されはじめている優雅な会合用の店などのうちに現われるのである。」(『ベンヤミン・コレクション? 近代の意味』から)
シュルレアリスムと言えば、私には何よりも誰よりもまず富山県出身の詩人で美術批評家でもあった瀧口修造さんが思い出されます。富山県立近代美術館には瀧口さんが生前収集していた美術品やオブジェを常設展示している部屋があり、たまに見に行きます。そこに展示されているものは古びたがらくたの類と言いたいようなものです。シュルレアリスムはそういうものに特別な意味を見出していました。もちろん、古いものなら何でもよいというわけではないのだと思いますが、古びたものの中には、なんとも言い難いような独特の気配のようなものを湛えたものがあることは、私にも何となく分かります。私の場合は、長年の間に紙がすっかり変色し活字のインクも薄くなりかけている特に何ということもない古い書物などに、特別に強く惹きつけられることがあります。
図書館という場所はそういう意味では、私にとっては魅力的な場所です。建物がどんなに新しくなっても、そこに多くあるのは半ば干からびた、半ばカビ臭くなった古い本の数々です。新しい図書館は、今の時代の最先端と、半ば屍と化した古い文化がせめぎあう、とても刺激的な場所かもしれません。いやしかし、時代の最先端と見えるものは本当に最先端なのか、古い文化と言いましたがそれは本当に時代遅れになってしまったものなのか、という疑問も湧いてきます。廃棄処分の一歩手前のような古い本が湛えているあの気配はいったい何なのか?…
そう言えば、近代美術館の建物も近々リニューアルされるそうです。こちらのほうもどうなるのか目が離せません。考えてみれば建物というものは常に新しさを身に帯びて生まれて来なければならないという宿命があるのかもしれません。新しさとは何でしょうか? それは私たちの日常生活とどういう関係があるのでしょうか? 興味が尽きないところです。
(アルファ進学スクール水橋校 涌井 秀人)